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    カテゴリ:人物伝 > 宇喜多家・黒田家

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    たぶん、令和の世に生まれたらヤバい政治主張垂れ流すインフルエンサーになっていたと思う。

     

     

     







     

     

     

    又兵衛、もうやめるのだ。

    お、お兄ちゃん・・・。

     

     

     

     

     

     

    大坂の陣で豊臣方に味方した数多の牢人衆たち。真田信繁以外であれば後藤又兵衛が有名でしょう。黒田家の家臣という微妙に著名でなさそうな立ち位置から「軍師官兵衛」「真田丸」「どうする家康」と10年で3回も大河に出演するなど、戦国時代クラスタは当然として一般人にもそこそこ知名度のある人物だと思います。

     


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    その内実は波瀾万丈の人生の一言ですが、本人の性格にも原因があったのではとも評価されるなど毀誉褒貶があります。今回はそんな後藤又兵衛の生涯について解説していきます。

     

     

    【後藤又兵衛(基次)  主君と反りが合わずに承認欲求モンスター!?】の続きを読む

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    慶長5(1600)、関ヶ原の戦いの直前である825日、西軍一行は伊勢安濃津城に籠る富田信高を攻撃していました。攻城側は西軍総大将・毛利輝元の代理として出陣した毛利秀元と吉川広家といういわゆる毛利新両川。守る富田信高の兵はわずか1700。しかし、兵力3万を以てしてでも城の守りは堅牢でなかなか落ちませんでした。

     

     
    富田信高



    しかし、頼みの綱である家康の援軍は来ず、福島正則ら先鋒軍も尾張から美濃の制圧にうつり、ジリ貧に追い込まれていきます。西軍の用意した秘密兵器・大砲の投入により三の丸、二の丸と次々と落とされていく安濃津城・・・。信高は本丸にて最後の戦いに臨もうとしていました。

     

     

    【富田信高  俺の嫁が命の恩人で俺の家を取り潰した件について】の続きを読む

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    俗説として日本は外交下手とされます。

     

     

    幕末のごたごたや、太平洋戦争前の大日本帝国の迷走っぷり、現代も欧米諸国にへこへこ弱腰姿勢している(ように見える)イメージがそうさせるのでしょう。

     

     

    実際には、安倍晋三が構想した東アジア共同体、インド・太平洋構想によるシーレーンの構築や、岸田首相のG7広島の開催、そしてシーレーンに関わる諸国との関係構築など、近年の日本は今日に至るまで一貫して強い外交力を発揮してきています。

     

     

    それは過去に膨大な数の外交の失敗からノウハウを得てきたとも言えなくもないでしょう。

    小西行長も海外への外交に失敗して大惨事を招いた人物の一人です。元はといえば理不尽な秀吉の命でもあるのですが・・・

     


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    【小西行長  海と商いとキリシタン、栄枯盛衰一代記   ~どうする家康人物解説㉜~】の続きを読む

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    宇都宮の電車で暴力事件。町一番のヤベー奴が高校生を土下座させた上に足蹴りして大けがを負わせる。見た目が明らかにヤベー奴だったからこそ先に駅員を呼んでおくべきだった高校生にも迂闊な所はありましたが、別に高校生の行為が咎められるものではなく、たびたび電車など公共の場に現れるアレな奴らをどうにかして排除できないか・・・そんなことを考える人は少なくは無いでしょう。




    そうだ、あれだ!斬り捨て御免。





















    博多細伝実録とは江戸時代前半の福岡藩の事件や怪談話をまとめた逸話集です。あんまりパッとしない資料ですが、意外な所では「サザエさん」で磯野家のご先祖・磯野藻屑のモデルとなった話がこの実録に乗っています。

     

     

    黒田家にまつわる話なら何でも入っているということで、藩主・黒田長政のあんな話やこんな話も載っているということ。今回はそんな博多細伝実録よりちょっと血生臭い話をご紹介。

     

     

     

     

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    九州平定後、小倉の地に転封になった黒田親子。長政は故郷の播磨の地から「福岡」と名付け現代にいたるのですが、転封になって間もない時代には反藩主の住民も多くいたでしょう。特に城井家への対応を考えると新たにやってきた黒田親子に対する反感の声はそれなりにあったと考えられます。

     

     

     

    そんな中、長政が博多の街を馬で移動していた時、長政が来ていることを知っているにも関わらず、両足を通りに突き出している町人も見かけます。大名行列はもとより、今の時代でも不埒で咎められるべき行為です。

     




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    よし、宇都宮のアレとシチュエーションが同じだな!(白目)








     

    しかし、長政はすぐには怒らずその町人に

     

     

    その突き出している足はなんだ。売り物か?

     

     

    と冷静に問いかけます。しかしこの町人も肝が座っていたのか

     

     

    あぁ?そうさ、売り物さ。値段は・・・片足百両、両足二百両でどうだ?

     

     

    と逆に長政を挑発。すると長政は・・・

     

     

    なるほど、じゃあその足を貰おうか。今はこれだけしか持っていないから前金ということだな

     

     

    といい、刀を抜いてすぐに町人の両足を切ってしまいました。激痛と出血で悶絶死した町人を前に城から戻ってきた長政が一言。

     

     

    お前の言った足の値段。ちゃんと用意してきたぞ。そうだな、これでお前の葬式代に充てるとしよう

     

     

     



     

     

    偉い人を馬鹿にするのも程ほどにしましょう。
    後、公共の場ではマナーを守りましょう。

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    1: 風吹けば名無し 2021/09/01(水) 00:14:32.84 ID:WcrtTfya0
    17000もなんで引き連れてきたんや
    ウキウキやん

    2: 風吹けば名無し 2021/09/01(水) 00:15:23.20 ID:Z/u5dvud0
    西軍で大軍率いてるのこいつくらいやん

    6: 風吹けば名無し 2021/09/01(水) 00:16:31.51 ID:WcrtTfya0
    >>2
    小早川もだゾ

    84: 風吹けば名無し 2021/09/01(水) 00:33:15.81 ID:Z/u5dvud0
    >>6
    言うほど西軍か?

    引用元: ・関ヶ原の戦いの時の宇喜多秀家

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